生ける屍
先日、友人と話していて、その人がとても気に入って貰えた表現があった。
リビングデッド
生きる屍という意味だ。
自分の周りでは、学生や社会人、職種に限らず今を精一杯生きている人達がたくさんいる。
ある時から大部分の人間に対して独特な違和感を感じるようになった。
皆、ただただ疲弊している。
自己啓発の類のように意識を高く持つことが大切ということではないが
そんなもので、解決だとか改善にむかうようなものではない根本的な闇を感じる。
最も難しいパズルというのは、絵が描かれていないジグソーパズルらしい。
この難しさは、今自分が組み合わせているパーツが正しいのか、その戦略であっているのかどうかを図れない点にある。ミッキーマ◯スのパズルでいうと、いくらなんでも帽子の部分を作ろうとしているか、はたまた顔の部分を作ろうとしているのかくらいは想像ができる。しかし、真っ白なパズルには帽子や顔はおろか、背景も体もなにもかもが無いのである。
絵の描かれていないジグソーパズルという人生をみんな一生懸命に組み立てては、ピースが揃わない事に途中で気づき修正に取り組んでいる。
今、生きている人生の瞬間において手を動かしてこそはいるものの、何の絵を描こうとピースを組み立てているのかは最後にわかると思い込む。そして、完成してもただの白い絵しか出来なかった時に感じるの絶望ではないだろうか?
現段階ではまだ訪れていない絶望への歩みは、今この時に疲弊そのものという形で示されているのかもしれない。
それは、生きている。だけれども、死んでいる。